わたしと外との境界線

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。


リビングの模様替えをして片づけたのをきっかけに、レンタルでルンバを導入しました。

まずは2週間のお試しレンタルで、ズボラな面子がそろったうちでもルンバが活躍できるかどうか様子をみてみたのですが、さいわいとてもとても助かったので、つい先日から上位機種を本レンタルしはじめました。

上位機種のルンバは、スマートフォンに専用のアプリを入れると掃除しながらフロアのマップを作成し、そのマップにアプリ上で境界線を引いて部屋の範囲を決めることで、「リビングだけ」や「リビングとキッチン」といったように、部屋指定で掃除してもらうことができます。

境界線の位置は任意に決めることができるので、同じ部屋でも境界線を引いてしまえば領域ごとに指定して掃除してもらうこともできますし、別々の部屋でも境界線を引かなければ一つの領域としてまとめて掃除してもらうこともできます。

どこにどう境界線を引くか引かないかで、都合にあわせて掃除してもらうことができるのはとても便利な機能です。


ルンバの設定をしていて、最近自分自身をふり返って感じたことと似ているなと思ったことがあります。


最近ホルモンバランスが変わってきたのか、生理前のPMSが精神面に強く表れることが増えてきました。

以前はイライラすることが多かったのですが、最近はPMSの時期に重なって何かが起きると、不安や心配が強く出てきます。

いろんな対処をしても落ち着ききらず、物事に集中できなかったり、食欲がわかなかったり、心配の種を思い返しては持ち直そうと努めるのをくり返すような状態で、PMDD(月経前不快気分障害)ではないかと思うくらいになることもあります。

強い波のなかで翻弄されながらもがくような状態が、生理がはじまって数日たつと、それまでは焼石に水だった対処法でもすーっと落ち着くようになるのです。

生理前の時期を平穏に過ごせれば、感情面で強く不安定になることなく過ぎることもあるのですが、そういう時に限って何かをしでかしたり、何かが起こったりするものです。


感情が大きく揺れていても、日々の生活は待ったなしで進んでいきます。

できる限り揺れ幅を小さくするためには、ある程度時間をとって感情と向き合うのが、最終的には一番手っ取り早い方法です。

自分が今感じているもの、身体の反応や状態、きっかけとなった出来事、出来事の中で感情を刺激している核心は何か、自分でその感情状態を増幅している部分はないか、似たような感情状態になった過去の体験など、最初は思いつくままに書き出して、少しずつ整理していきます。

通常であれば、整理がつくとひとまず感情は落ち着くのですが、生理前の時期はいったん落ち着いても少しするとまた不安がむくむくとふくらんできて、ずーっと低音のBGMのように心でざわざわし続けるのです。

イライラ系の時も大変でしたが、不安系の情緒不安定はイライラの時よりもエネルギーを消耗するので、生理が終わった後も消耗から回復するまで時間がかかりよりしんどく感じます。


それでも、強い不安の感情と向き合う中で、いくつか気づいたこともありました。

前置きが長くなりましたが、ルンバと同じように、自分の感情の動きに境界線の問題が含まれていたことに気づいたのです。


たとえば、家族のことであれば、自分が直接どうにかできることではなくても、自分に火の粉が降りかかる、自分に余計な負担が生じると感じると、どうしても感情が揺さぶられてしまいます。

しかし、自分の問題ではないため、早く不安や負担を解決したいと思うと、どうしても相手にこうしてほしいという気持ちがわいてきます。

それが高じると、こうしてくれれば自分はもっと楽になるのに、どうしてそう動いてくれないんだと相手を詰るような気持ちになり、気持ちは知らずしらず態度に出て、相手との関係そのものが負担になってしまうこともあり得ます。


しかし、家族とはいえ、自分にも影響が及ぶとはいえ、自分以外の他者を思い通りにすることはできません。

自分に火の粉が降りかかる、自分に負担が生じると感じることで、相手の領分に踏み込んで境界線を引いてしまい、無意識に状況を、相手をコントロールしようとし、それが叶わないために必要以上に感情が揺さぶられていることに気がついたのです。


自他の境界線は、自分ではいつも一貫して変わらないように感じていますが、実際にはルンバに設定した部屋の境界線のように、都合にあわせて恣意的に、そして無意識に線を引き変えていることに気がつきました。

相手の問題は相手のもの。

それをどう解決するかしないかも、決定権は相手自身にしかありません。

私の問題をどうするかの決定権が私自身にしかないように。

たとえ相手の問題によってこちらに火の粉が降りかかるにしても、負担が増えるにしても、こちらがコントロールできるのは降りかかる(であろう)火の粉を、負担を、どう解決するかという部分だけです。

火の粉が降りかからないように、負担が増えないようにするために、相手や相手の問題をコントロールしようとしている時、そして相手が自分の思い通りに動いてくれなかったことで余計な負担をおわされたと怒っている時、自分の都合にあわせて相手の領分に踏み込んで境界線を引いてしまっているのです。


もちろん、境界線の問題に気づいたからといってすぐに情緒が安定するわけでもなく、負担が軽くなるわけでもありません。

しかし、自分の決定権が及ぶ範囲に境界線を戻すことで、相手や状況が思い通りにならないイライラや不安を切り離すことができるようになり、自分の決定権が及ぶ範囲で何ができるのか、どう動けるのかという点に集中することができるようになります。

感情が大きく動いているとその揺れに翻弄されてしまいますが、感情が落ち着けば余計なエネルギーを消耗しなくなります。

境界線を本来の「自分の」範疇に引き直すことで、自分に決定権のある範囲に十分なエネルギーを費やして対処することができるようになるのです。


そうはいっても、「あいつが○○してくれないから」「あの人が余計なことをしなければ」といった思考は、長年のクセでぽんぽんと浮かんできます。

思考が浮かぶということは、不随した感情も同時にわいてきています。

しかし、そうした思考が相手の領分に踏み込んでいるものだと気づいていることで、その思考が浮かんだ時に境界線が越境していると気づくことができるようになります。

自分のメリット(利益)のために相手を動かそうとするのは、境界線を越えているのです。


相手が身近な人であればあるほど、気づかないうちに、しかもお互いに、相手の領分を越えているということも珍しくないのかもしれません。

人にふり回されて消耗していると感じたら、一つひとつ丁寧に見つめ直してみると、見えてくるものがあるかもしれません。


あらあらかしこ


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