感情は表現されることを待っている
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
新型コロナウイルスの新規感染者の増加が止まらない一方で、オリンピックは続けられ、中等症や高齢者、基礎疾患を持つ人も自宅療養を基本とすると政府が言い出す…。
ここまであからさまに国民を見捨てると言った政府の人たちは、いざ自分が新型コロナウイルスに罹患した時にも自宅で療養するのでしょうか。
日本人の多くはあまり感情をあらわにしませんが、表に出さないだけで感情は動いています。
政府の言葉ではなく、政府によってもたらされたものに相応する感情を、国民は積み重ねていくことでしょう。
ポジティブな感情であれネガティブな感情であれ、感情が昇華されるためには表現されることが必要です。
意識するのがしんどくて抑圧されたり、なかったことにされた感情は、意識されなくなっただけで無意識の領域に降り積もっています。
意識できれば、その感情をどう表現するか、表現の形や方法を選ぶことができますが、無意識の領域にある時は感情がどんな形で表現されるかを選ぶことはできません。
意識の上では「ないもの」である以上、自分の意思で表現することはできないからです。
無意識の領域に押し込められた感情は、意識にとって「ないもの」であるという前提をやぶらない形で表に現れようとします。
無意識の行動だったり、癖だったり、口をついて出た言い回しだったり、態度だったり、時には問題行動や症状として表れることもあります。
いずれにしても、意識に認められない状態で、無意識の領域に留まりきらずに漏れ出たり溢れ出るような形では、感情は昇華されることはありません。
精神分析の父であるフロイトは、無意識に押し込められて当の本人にも忘れ去られた感情を意識化することで、問題行動や症状が消失することを見つけ出しました。
それくらい、どんな古い感情も生じた時の目的を果たそうとし続けているとも言えます。
どんな感情も、その感情に関連した行動の源です。
感情は、行動の動機にもエネルギー源にもなります。
そして、楽しい、うれしい、安心といったポジティブな感情も、怒りや悲しみ、不安といったネガティブな感情も、どう受け止めてどんな言葉や行動で表現するかで、建設的な結果も破壊的な結果ももたらし得ます。
とはいえ、感情を建設的な結果につなげるためには、感情を意識でコントロールすることが必要です。
感情を無意識に押し込めた状態では、表現方法を選ぶことができないからです。
感情は、自分のために必要な時に湧いてくるものです。
感情を、他者に迷惑をかけるでも自分に迷惑をかけるでもなく、自分のために、そして叶うならば他者のためにも、建設的な結果となるような表現と行動につなげていけるように努めたいものです。
かしこ
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