たまには、ひっくり返って見てみることも大事

こんにちは。
心の健康支援室 そらいろのmirineです。

子どもの頃、鉄棒で逆上がりをした時、くるんと世界が一転したあの視界を覚えている人はどれだけいるでしょうか?

地面に寝転がった時の視点
高いところから飛び降りた時の視点
目線をぐーっと低くした時に見えたもの
学校の屋上から見た景色

子どもの頃は、さまざまな場面で視点がくるくると変わる体験をしていた方も少なくないと思います。
大人になってからの方が行動範囲はずっと広がっているはずなのに、今よりもせまい世界の中でも、くるんと一転して新しい景色が広がるような発見は子どもの頃の方が多かったと感じられるかもしれません。

走ってしゃがんで転がって跳びはねて、身体を使った遊びから遠くなればなるほど、視点は自分の目の高さに固定されていきます。
歳をとるにつれて頭がかたくなるのは、物理的に視点・視界が目の高さに固定され続けてしまうこととも関係するのかもしれないですね。
人は、自分で思うよりもずっと、「見えているもの」に左右されているようです。

人が一面的ではないように、世界のあらゆるものは一つの視点からは捉えきれない、多くの面を持っています。
大人にとって、学校は勉強するところかもしれませんが、当の子どもにとっては、学校とは友だちと会えるところであり、遊ぶところであり、ルールの多いところであり、給食が楽しみなところであり、毎朝起きて通うのが億劫なところであるかもしれません。

子どもの頃は制限が多くてできないことがたくさんありましたが、大人になってから行きづまることの多くは、視点が固定されてしまっているために起こっていることが少なくないようです。
「〇〇は〇〇である」という思い込みや信念が、見えるものや情報に対するアンテナをせばめてしまっているのです。
毎日同じ視点・視界で暮らしていると、同じものばかりが見えるために、そうした思い込みや信念も次第に強固になっていきます。
「〇〇は〇〇である」ということを補強するものばかりが目について、「〇〇は××でもある」という点や、「〇〇は△△のこともあり得る」という点は、目に入っても気がつかなくなるのです。
本当は大人にこそ、子どもの頃の鉄棒のような、くるんと視界を一転させる動きが必要なのかもしれません。

数年前、大人になってから久しぶりに鉄棒で逆上がりをしようとしたら、今の体重を支えられるほど腕の筋力がなく、くるんと一回転する前にお尻から落下してしまいました(笑)
実際に逆上がりをすることは難しくても、子どもの頃にかえったつもりで、いつもとは違う方法で世界をながめてみることは、大人にとっても新しい視点、新しい視野をもたらしてくれるでしょう。

世界は真正面から見据えるでも、はすに構えて見るでもなく、ひっくり返って見るものなのかもしれません。

あらあらかしこ


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