言葉は心の世界を把握するためのツール
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
今日は11月11日、「ポッキー&プリッツの日」ですね!
ポッキーもプリッツも最近はあまり食べてないのですが、たまにすごく食べたくなります。
と、書いていたらちょっとポッキーを食べたくなってしまいました(笑)
日本では「ポッキー」、ヨーロッパでは「MIKADO」、似たようなお菓子が韓国では「ペペロ」、東南アジアでは「チョッキー」として流通しているそうです。
異なる名称ですが、いずれも「スティック状のクッキーにチョコレートをコーティングしたお菓子」の名前です。
ヨーロッパでは、ポッキーの綴りがすでにあるあまりいい意味ではない言葉と同じになってしまうことから、ポッキーと似た形状の棒を使うゲームの名前をとって「MIKADO」という名前になったそうです。
こうした名前をはじめとした言葉は、私たちが感覚器官を通して得た情報を整理し、物事を把握しやすくするために用いられています。
そのため、同じ音や同じ綴りの名称がすでに他の物事について用いられていると、そのイメージに影響を受けてしまうということも起こります。
言葉というと、他者とのコミュニケーションツールという印象が強いかもしれませんが
、他者とのかかわりのためよりも先に、自分と世界を把握するための枠組みとなっているのです。
たとえ「ポッキー」を知っていても、同じようなお菓子が他の場所では「MIKADO」という別の名前を持っていると知らなければ、「MIKADO」と言われてもポッキーを思い浮かべることはないでしょう。
同じように、今自分が感じている感覚や心の動きにどんな名前、どんな表現がふさわしいのかが分からないと、自分の感情を把握することもとても難しくなってしまいます。
「怒り」「かなしみ」「不安」「恐怖」「嫉妬」「しあわせ」「安心」等々、言葉としては知っていても、それら一つひとつが自分の感じる特定の感覚ときちんと結びついているでしょうか。
「なんだか胸のあたりがもやもやと重苦しいかんじ」が、怒りなのか、かなしみなのか、不安なのか、嫉妬なのか。
一つに決められない、いろんな感情が混ざっているのか。
自分の微細な感覚を表現する言葉を持たないと、「なんかムカつく」「すごいやばい」といった、広くどんな感情、感覚にも適用できる表現や、微妙なニュアンスを明確にせず快か不快かだけを表すような表現ばかりになり、自分が何を感じているのか自分でもよく分からない状態になってしまうのです。
自分の心、自分の感情、自分の状態を表す言葉をたくさん持っているだけで、自分の状態を把握し、コントロールしやすくなります。
自分の内側を丁寧に観察して、しっくりくる表現を見つけていきたいですね。
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