問題は、「問題」となってはじめて解決できるようになる
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
いよいよ明日はオリンピックの開会式です。
コロナ対策のずさんさもさることながら、さまざまな問題、不祥事、いじめや傷害の加害者の起用等、オリンピックの理念すら揺らぐTOKYO2020…。
暑さに加えて、東京の新規感染者数もここ数日でぐっと増えてしまっています。
このオリンピックをきっかけに、今の日本がどんな国であるのか、きっと多くの国の人々が目の当たりにすることでしょう。
昨今、特にコロナ対策やオリンピックを巡って、さまざまな問題が浮き彫りとなりました。
その度に謝罪や発言の撤回、当事者の辞任等はされるものの、問題がきちんと「解決された」といえることはほとんどなかったように感じます。
解決ではなく、問題は終わった、もしくはなかったことにしてうやむやにしてしまい、結局困っている人たちや影響を受ける人たち一人ひとりに問題への対処を押しつけてしまっている―
そんなことがもうずっと続いていると思います。
「問題」というのは厄介で面倒くさいこと、人によっては地位を脅かすもののように感じられて、できれば直面したくない、ないものとしてしまいたいものかもしれません。
社会や国レベルのような大きい問題でなくても、個人の人生で降りかかる大小さまざまな問題ですら、できれば避けて通りたいと思うことも少なくないでしょう。
しかし、コロナ禍で多くの問題が次々と顕在化し、それらがまともに解決されなかったことによって、状況がジリジリと、でも少しずつ確実に悪くなっていく現実を多くの人が目の当たりにすることになりました。
問題は厄介なものかもしれませんが、問題にまともに向き合わずに、過小評価したり、済んだことにしたり、ないものとすることで、解決からどんどん遠ざかってしまうのです。
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