「ほら、見なさい」は誰のための言葉?

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。


子どもの頃、身近な大人から「ほら、見なさい」と言われたことがあるという人はどのくらいいるでしょうか?

身近な人などに対して、「ほら見ろ」と言ったり、心の中で思ったことがあるという人はどのくらいいるでしょうか?

前者も後者も、誰しもそれなりに思い当たる出来事があるかもしれません。


「Weblio類語辞書」で「ほら見ろ」を検索すると、二つの意義素が提示されます。

一つは、「既に予想されている失敗をした人をあざける表現」、もう一つは、「自分の忠告を聞かない相手に対し、忠告通りに物事が進んだ際に、その正当性を相手に伝える表現」です。

類義語としては、「言わんこっちゃない」「ざまあ見ろ」「それ見たことか」「だから言ったのに」といった言葉が並びます。


誰かに、「ほら見ろ」「言わんこっちゃない」等と言われた時、あなたはどんな気持ちになったでしょうか?

逆に、自分が誰かに「それ見たことか」「だから言ったのに」等と、たとえ心の中ででも言う立場になった時、あなたはどんな気持ちになるでしょうか?

「ほら、見なさい」を言われる立場と、「ほら見ろ」と誰かに言う立場とでは、同じ言葉でも違った風に感じられるかもしれません。


Weblio類語辞書の意義素にも表れている通り、「ほら見ろ」やそれに類する言葉には、「失敗をした人をあざける」、自分の忠告や予想の「正当性を相手に伝える」という意味合いが含まれています。

忠告を退けて失敗した相手を見下し、自分の正しさを主張する意図を含む言葉といえます。

そのため、言われる側であれば相手に見下されあざけられる立場になるため、悔しさや辱められたという怒りを覚えるでしょう。


逆に、自分が誰かに対して「ほら、見なさい」と言う時、思う時はどうでしょうか?

もしかしたら、相手のために、相手の間違いを正そうという思いで「ほら、見なさい」という言葉を使っていることもあるかもしれません。

しかし、その中にどうしても、自分の予想や考えが正しかったと証明されたことに対する得意気な気持ちが入ってしまうものではないでしょうか。

「やっぱり私が正しかった。最初から私の言う通りにしておけばよかったものを(だから今後はそうしなさい)。」

ほんの少しでもそういう気持ちが込められた言葉は、本当に「相手のため」の言葉でしょうか?

忠告を退けて失敗した相手を見下し、自分の正しさを主張する意図が込められた言葉を使う時、その言葉は相手のためという以上にやはり自分のために使われているのではないでしょうか。


「ほら見ろ」と言った時、思った時、言われた時、その言葉が選ばれた意味を省みてみると、見えてくるものがあるかもしれません。


かしこ


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