からっぽのコックピット
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」
とはよく言ったものです。
2月22日は「222(にゃんにゃんにゃん)」でねこの日だったので、看板ねこの写真をアップしようと思っていたのですが、あっという間に過ぎてしまいました…。
3月に入り、東京では雨が増え、冬から春へと季節が移ってきているようです。
「忙しい」「忙しない」は「心を亡くす」と書く、というのはよく言われる言葉です。
実際、忙しい時、忙しない時、わたしたちは現実に対処しなければならないことにかかりきりになっていて、自分自身をふり返る余裕はほとんどありません。
少し前、「今、ここ」ということを考える機会がありました。
「今、ここ」「here & now」というのは、心理学でもよく出てくる言葉です。
たとえば、仕事のことで数ヶ月先の計画を考えている時、
今日の晩ご飯の献立を悩んでいる時、
来週にせまった試験のことを思って緊張する時、
わたしたちは「今」ではなく「未来」にいます。
そして、昨日感情にまかせて部下を叱ったことを悔やんでいる時、
小さい頃親にされたことを思い出して怒りがこみ上げる時、
懐かしい思い出をふり返る時、
わたしたちは「今」ではなく「過去」の中にいます。
先々のことに思いをはせ、過ぎ去ったことを反芻している時、わたしたちの心は「今、ここ」にはいないのです。
忙しく現実のことにかかりきりになっている時、
先のことや過去のことで頭がいっぱいになっている時、
わたしの意識が「今、ここ」にない時、
わたしの心はからっぽなのでしょうか?
もしかしたら、「心がからっぽ」とまで言うのは適切ではないかもしれません。
自分自身が心の中からまったくいなくなってしまうわけではないからです。
けれども、心の真ん中のコックピットのような場所はからっぽと言えるかもしれません。
外の世界で起きていることや、先々に起こりうること、過ぎてしまった出来事に気を取られすぎて、「今、ここ」を感じる心の真ん中の場所がずっと空っぽになっている。
そんな状態なのかもしれません。
心の真ん中、いわばコックピットのような場所に自分自身が不在の間、いったい何がわたしをコントロールしているのでしょう?
「今、ここ」ではないものに心を奪われている間、そこはからっぽなのか、それとも「わたし」ではない何かがひっそりとコントロールレバーを握っているのか…。
なんだかふと、そんなことを考えました。
自分がいろんなことに気を取られて過ごしている間、心の中のその場所はからっぽなのだろうか?
からっぽだとして、からっぽのままわたしを動かすものは何なんだろうか?
ちょっとした思いつきにすぎません。
しかし、自分で意識して心の真ん中に連れ戻さないかぎり、「わたし」はすぐにあちらこちらへと気を取られ、うつつを抜かし、コックピットを空にする、ということだけはよく分かりました。
驚くぐらい、わたしの意識はひとつの所でじっとしていることがないのです。
同じ場所ですやすやとずっと寝続けるねこの方が、よっぽどじっとして落ち着いていると言わざるを得ません(笑)
心の真ん中に自分がいる。
その時間が短ければ短いほど、自分で自分をコントロールしているように思えても、実際には自分以外の誰かや何かの言葉や意思にコントロールされていることの方が多いのかもしれません。
あなたの心のコックピットに、あなたはちゃんと座っていますか?
あらあらかしこ
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