願いごとは肯定形で
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
季節外れの暑さが続き、11月の実感がまったくわかないまま、昨日立冬を迎えました。
この暑さで、今年も残り一ヶ月半とちょっとなんて、体感的にはまったく信じられない気持ちですが、来週からは強い寒気の影響でぐっと寒くなるそうです。
記録を更新するあたたかさから一転しての寒さは、平年並みの気温でも、心身に大きなストレスとなり得ます。
ご無理のないよう、ご自愛なさってお過ごしください。
先週、一年のふり返りや来年の展望を考えるのに今の時期がおすすめということをブログでお話しましたが、私自身、今年の年初に書いた願いごとリストを見返してみました。
現実的かどうかを考えずに思いつくままに書いたものなので、叶ったものもあれば、当然叶っていないものもあります。
年初に書いてから見返さずにいたので気づかなかったのですが、中には私が望んでいない形で結果的に叶っていたものを見つけて、「願ったけどそうじゃなかったんだよ〜…」と歯噛みしてしまったものもありました。
基本的に、願いごとは「〜する」の肯定形で書くようにしているのですが、その歯噛みすることとなった願いは「〜しなくてよくなる」と書いてあるものでした。
「〜しなくてよくなる」という表現を「する/しない」の形で表すと、「〜しない」の否定形になります。
肯定形は「A」と指定するものですが、否定形は「Aではない」という表現になるため、Aでなければどんな形でもいいということになってしまいます。
「Aではない」を望ましい形で実現するためには、「Aではない」という状況にどんな条件が必要なのかを細部まで明確にすることが大切です。
それなのに私は、具体的に、どういう形でしなくてよくなるのかを書かずに(つまりイメージせずに)、それを「しない」という結果だけを願いごととして書いていました。
結果だけを見れば、願った文言通りになっているけれど、望んだ形はそれじゃなかったんだと、本当に無念な気持ちになりました。
肯定形であれ否定形であれ、今の現実から距離があったり、具体性のない願いごとは、やはり書いたから叶うというわけにはいきません。
願いごとをするというのは、自分の意識を向ける方向を定めることです。
願いを現実にするためには、その願いが非現実的であればあるほど、より具体的で現実的な規模の願いに段階分けしたり、細分化したりする過程が必要です。
しかし、願いごとをしたり目標を立てたりする時、現実的であることを条件にしてしまうと、手の届きそうなこじんまりとしたものにしか意識の目が届かないこともあります。
現実的な縛りによって、普段意識することのない奥に隠れている本当の望みにたどり着くことができなくなってしまうのです。
やはり最初は、現実的かどうかは度外視して、わき上がる夢、願いを自由にそのまま書き出す過程が大事だと思います。
私は今回、願いを現実に引き寄せて具体化する過程に時間をとらなかったために、今になって歯噛みすることになってしまいました。
しかし、願いごとを思いつくままに書く段階と異なり、一つひとつの願いごとに現実的な詳細を考える段階は、時間も労力もしっかりとかかるものです。
なかなか日常の中に、ゆっくりと時間を取ることができないという方も少なくないと思います。
私のように、せめて意識の方向性を定めるために願いごとの段階だけでもやっておこうという方は、思いつくままの形で書き出した願いを一度見直してみてください。
もしその中にもし否定形で表現されたものがあったとしたら、あらためて肯定形で書き直してみる、もし否定形のままの表現しか思いつかない場合は、その願いだけは少し時間をとって、「Aではない」に至る自分にとって望ましい過程を具体的にしっかりとイメージし、言葉にしておくといいでしょう。
「Aではない」だけに意識の方向を定めてしまうと、Aから遠ざかれれば何でもいいことになってしまいます。
「Aではない」ではなく、「(Aではない状況の)αがいい」と、自分にとって望ましい方へしっかりと意識を方向づけして、新しい年もよい時間を重ねていけるといいですね。
かしこ
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