「〜ねばならない」の呪縛を解く
これが人によって、状況によって、難しいこともあるのではないでしょうか。
私たちの限られた活動時間は、「やらなければならないこと」と「やりたいこと」がせめぎ合いながら、多くの時間が「やらなければならないこと」に費やされていきます。
無理をしない、回復するために休む、大切な人との時間を持つ、好きなことをして過ごす、そうした時間が「やらなければならないこと」のために時に大きく削られてしまうこともあります。
「やらなければならないこと」と「やりたいこと」のバランスが大きく崩れてしまっている時、もしかしたら「〜ねばならない」の呪縛にとらわれすぎてしまっているかもしれません。
たとえば、これを済ませないと遊んではいけないという自分ルールであったり、完璧に仕上げたいというこだわりであったり、こうするものだという社会通念であったり、自分の中の「〜ねばならない」によって行動や選択に制限をかけてしまっていることがあります。
自覚していることもあれば、自分でも気づいていないうちに縛られていることもあります。
「〜ねばならない」と感じることの中には、少なからず「〜ねばならない」という自分の思い込みや気の済まなさによって他の選択肢が見えなくなってしまっている場合があるものです。
期限があることであっても、期限に間に合わせるために心身の調子をがくっと崩してしまうくらいなら、期限自体を融通してもらうことも可能かもしれません。
しかし、「期限に間に合わせなければ」と思い込んでしまっていたり、「迷惑をかけてはいけない」と強く感じてしまっていると、身体の無理を押してでも期限に間に合わせる選択肢しかなくなってしまうかもしれません。
「〜ねばならない」「〜しなければ」という思考は、大きなものから小さなものまで、私たちの生活のさまざまなところに息づいています。
制限によって選択肢が限られることが役に立っていることもあれば、縛られて不自由になっていることもあるでしょう。
「〜ねばならない」「〜しなければ」という思考が頭に浮かんだ時、一度「〜する」と言い換えてみてください。
「〜ねばならない」を「〜する」に言い換えると、制限を課す表現から、自分が能動的に行動する表現に変わります。
「行かねばならない」→「行く」
「やらなければならない」→「やる」
「食べなければならない」→「食べる」
「〜ねばならない」「〜しなければ」は、やらない選択肢を許さない表現ですが、「〜する」は、「〜しない」という選択肢も持ちうる表現です。
他の選択肢に開かれた表現に言い換えることで、「〜ねばならない」の思考の時には気づかなかった選択肢に気づきやすくすることができるのです。
「〜する」「〜しない」の選択肢が見えると、次第に「〜したい」「〜したくない」の選択肢にも気づく余地が出てきます。
「〜ねばならない」の表現の時には選択肢は一つでしたが、「〜する」「〜しない」という自分の意思や、「〜したい」「〜したくない」という自分の願望に基づいた新しい選択肢を考えることができるようになるのです。
もちろん、言い換えたからすぐに考え方が変わったり、新しい画期的な選択肢や行動を思いつくわけではありません。
最初はただ言い換えただけ、何も変わらないと感じられるかもしれません。
しかし、日常の中で少しずつ、自分の思考の制限を外すように習慣づける上で、「〜ねばならない」を「〜する」に言い換えることは、思いついた時にやりやすい簡単な最初の一歩と言えます。
自分の考えに「〜ねばならない」という表現がどれだけあるかに気づくだけでも、自分がどれだけ自分自身に制限をかけているのかを知ることができます。
「〜ねばならない」の呪縛で生きることが苦しくなってしまわないように、ご自身の思考をいつもより少し気にかけて観察してみてください。
かしこ
0コメント